こうじ屋ウーマンの部屋へようこそ ~糀屋本店 親子鼎談~

浅利妙峰(あさり・みょうほう)
「糀屋本店」9代目。1952年大分県佐伯市生まれ。『糀屋本店』の長女として生まれ、2女3男を育てた後、2007年から”こうじ屋ウーマン”を名乗り、糀文化の普及と伝承のために奔走。“糀で世界中の人たちをお腹の中から元気に幸せにしたい”とコロナ禍でもめげずにSNSなどで意欲的に活動中。

浅利定栄(あさり・じょうえい)
浅利妙峰の長男。1982年生まれ。宮崎医科大学医学部看護学科卒業後、東京で看護師として勤務の傍ら青年海外協力隊に参加、約2年間南米パラグアイに赴任。帰国後イタリア食科学大学大学院にて食文化とコミュニケーションの修士課程修了。現在は東京を中心に糀の普及活動に携わる。

浅利良得(あさり・りょうとく)
浅利妙峰の次男。1983年生まれ。立命館アジア太平洋大学在学時に糀作りに興味を抱き、8代目の祖父より製麹技術を学ぶ。卒業後、別府大学食物バイオ学科で発酵食品学を学びフードサイエンティストの資格を取得。その後、糀屋本店に入社。製麹を中心に糀の普及にも力を入れる。

 

こうじ屋ウーマン浅利妙峰が、糀を通じて素敵なご縁をいただいた方と楽しく対談するシリーズ。今回は、糀のプロとしてそれぞれ活躍中の浅利妙峰と息子2人による特別編です。嬉しいような照れ臭いような、そんな3人の表情が見え隠れする中、糀の未来が感じられる楽しい時間となりました。

こうじ屋ウーマン 浅利妙峰:まず自己紹介からお願いします。

定栄:長男の定栄です。糀を使ったレシピの開発、糀や発酵についての講演やワークショップ、料理教室などを東京を中心に行っています。

良得:次男の良得です。祖父に教わった伝統の技術を守りながらも、科学の目でしっかり管理をして、今の時代に合った糀の製造をしています。

妙峰:そして、母の妙峰です。創業333周年を迎えてどうですか?

定栄:1689年創業というと、松尾芭蕉が奥の細道に旅立ったとか、イギリスで名誉革命が起きたとか、昔のこと過ぎてイメージできないけど、その後の黒船来航や大政奉還、2度の世界大戦などの激動の時代に、どんなことを考えながら糀を作り続けてきたのかとても興味が湧きます。

良得:一般的に1代30年位と言われていて、妙峰さんが9代目で次が10代目と考えると、がむしゃらに美味しいものを作っていくのはモチロンだけど、受け継いできたものを次の世代にまでしっかり伝えていくことをそろそろ考える時かなという気がします。

妙峰:私は、長女として生まれ、糀屋の後継ぎとして育てられました。私に白羽の矢が立ったのだから受けて立とうと思っていたかな。昔は杜氏さんを中心に5人位働いていて、幼い頃はいつも糀づくりの現場で遊んでいたけど、知らず知らずのうちに耳にしていたお米の蒸し具合や、何か問題が起きた時の杜氏さんの言葉が、今も頭の中にしっかり残っているのはありがたいです。

定栄:幼かった頃は、まだ直火の窯で米を蒸したり、みそ用の豆を炊いていたから、製麹作業などがある日は、家に帰るといい香りがしていた。何のためにその作業をしているかなど考えたことはなかったけど、蒸し立てのお米のおいしさはよーく覚えてる。

良得:そうそう、手伝うふりをして食べてた。蒸し立てだからおいしいんだよね。噛んだらすごく甘くて。ただ、種麹をつけたお米を食べるとお腹から麹が生えてくると言われて、ビビってたね。後はやっぱり、悪いことをしたら室や蔵に連れて行かれるのが恐怖だった。

妙峰:私も小さい頃は恐かった(笑)。2人は糀にかかわる仕事をしているけど、キッカケは何?

定栄:大学を卒業後、青年海外協力隊員で看護師として赴任していたパラグアイで糀に出会ったことだね。70年近く前に移住して、今も変わらず糀を作って味噌の仕込みをしている日系移民の方々に、強い感銘を受けたんだ。その時に、妙峰さんの塩糀の話が出たのには、さすがにびっくりしたよ。

妙峰:遠い南米の地で、えっ、あなたのお母さんなのって!?

定栄:でも、それをキッカケに塩糀の話をしてほしいと言われて、とてもありがたかったよ。

良得:私は、大学の恩師から「まちづくりは現場に入らないとわからない」と言われて、佐伯に帰って活動をしていたときに、バイトで糀屋の手伝いを始めたのがキッカケ。ずっと日本の文化に携わる仕事をしたいと思っていて、実際に糀に触れてみたら、これほど日本の文化に深く根付いている産業はない、この仕事をしたいと思ったんだ。

妙峰:私が店を継いだ時は、私たちだけでもまかなえる程度だったけど、塩糀のブームでものすごく忙しくなった。あの時、家族全員で頑張ろうと決めたから、何とかここまで来れたのかなと感謝しています。で、糀の認知度は上がったと思う?

定栄:塩糀という言葉が、味噌や醤油と同じくらい一般的になったかな。調味料は買わないで作るという人も増えたし、発酵にハマっているという若い世代も多くなったと感じます。

良得:それこそ小さい頃は、道路工事屋?というレベルの認知度だったけど、今は、塩糀でしょとか、醤油やお酒を作るんでしょと言ってもらえるようになったかな。でも、もっともっと糀の魅力を伝えていける余地はあると思う。

妙峰:確かに。私も昨年クラブハウスに入って、世界中にこんなにも糀や発酵について知りたい人がいるんだということに驚きました。そんな糀の一番の魅力は何だと思う?

定栄:酵素の働きで消化を助けてくれること。それ以上に他の食材としっかり調和して下支えをしていること。塩以外の日本の調味料の製造には糀が不可欠で、日本の食文化を形作るうえでも超主役級の存在なのに、製品は酒、醤油、酢という名前で呼ばれていて、糀はあくまでも脇役なところかな。

良得:何でも美味しくできて、お腹や身体の調子が良くなるところ。これって一番いいですよね。最近は、腸が改善することで、冷えのこととか、身体のことが色々改善できる可能性が糀にあるというのは魅力的だなと思います。

妙峰:いつも「糀料理は酵素料理ですよ」とお伝えするけど、多分、糀の持つ酵素の力はこれからもっと注目されると思う。糀というと和食という捉え方をされるけど、三大栄養素、即ち、でんぷんとタンパク質と脂肪を食べて、消化して体のエネルギーに回していくというのは世界共通だから、世界中の人たちに、健康に役立つのが糀の魅力だということをわかりやすく伝えていきたいです。

定栄:妙峰さんの、常に新しい何かを作り出そうと考えているところは、いつも尊敬してるよ。

妙峰:ありがとう!ところで、糀の活用法でこれはおススメというものはある?

良得:今や当たり前になってしまった方法だけど、鹿やイノシシなどのジビエを糀で下処理をして匂いを取り、一晩置いて柔らかくして調理をすること。ただ、漬けすぎると歯ざわりが悪くなるので、一晩位がいいと思います。

定栄:麦麹で作る醤油こうじと麦麹(または米糀)と青唐辛子、醤油で作る三升漬けにハマってるよ。普段はあまり醤油を使わないけど、冷奴やお刺身、鍋にちょい足しするなど使う機会が増えたかな。

妙峰:おいしそう。最後に333周年ということで、これからの夢を聞かせてください。

良得:過去を見て、先を見て、手を打っていく。麹菌や糀の本質を見て、真理にかなった本来の使い方を取り戻し、提案していきたい。糀は日本の食文化の根源そのものなので、今まであったものを大事にしながら伝えていくということだね。

定栄:世界中の人たちをお腹の中から元気に健康にしたい。(With fermentation, the world will be as one!)糀を含めた発酵食品を食べて、体を元気にして、世界が平和になったらいいなと願いながら、これからもいろんな料理を作っていきたいです。

妙峰:300年以上の時を経ても、糀一本で商売できるという糀の力に改めて驚嘆し、とてもやりがいのある仕事だと思っています。兵器で世界平和は構築できないけれど、食を守り、心を一つにして向かえば、平和を実現できると私も信じています。あなたに何ができるのと言われても、みんなの幸せを願いながら日々頑張っていく。そういうプライドを持って生きていきたいです。二人とも、これからもよろしくね。