大分合同新聞 灯にて掲載 8月10日(水)

2022年8月10日(水)大分合同新聞「灯」にて『「靖国で会おう」の悲願達成』と題した こうじ屋ウーマン 浅利妙峰のコラムが掲載されました。

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 自分だけ生きて帰って申し訳ない。生き永らえている後悔を口にしたことは度々。常に「自分だけ」を責めていた父だった。捕虜として抑留され、極寒の地シベリアで寒さと飢えに耐え、辛酸をなめる日々の中で、バイカル湖の鉄道を敷き、植林などの強制労働に耐えて、1949(昭和24)年に故郷日本に帰郷した。

 幾度となく上京し、「靖国で会おう」と誓い合った戦友たちに会いに行っていた。今思うと、参詣に行ったのではない、戦友と語りに行ったのだ。生きている父には、靖国神社参拝をして、彼らを供養し、ざんげするしかなかったのだろう。

 その父も昨年の12月にあちらの世界へと旅立った。葬儀では、参列者の皆さんと「歩兵の本領」を大きな声で歌った。「万朶の桜か袴の色」で始まるこの歌は、父の十八番。子や孫、ひ孫たちの愛唱歌でもある。死出の旅への出陣式のはなむけに皆さんの歌声がどれほど父の背中を押したことだろう。

勇ましく、雄々しく、ご先祖さま、両親や妻、何より戦友たちの待つあの世へ駆け足で昇って行ったに違いない。

 初盆を前に靖国神社の全祭神へ、父の名前でご供養をお願いした。今は先に散った戦友たちとお酒を酌み交わし、歓談していることだろう。96歳まで生きて、仲間たちの御霊を供養し続けた父を誇りに思うとともに、命を懸けて祖国を守って下くださった方々に感謝をささげたい。

(こうじ屋ウーマン・佐伯市)