読売新聞「道あり」に糀屋本店 浅利妙峰が紹介されました③

2025年6月3日(火)から『読売新聞』の連載「道あり」8回シリーズに、こうじ屋ウーマン 浅利妙峰が取り上げられています。こちら6/5掲載の3回目の記事です。こうじ屋ウーマンの結婚、子育て、仕事…ぜひご覧ください。現在 子どもたちは5人とも40代。あれから40年(笑)

🔗読売新聞オンラインにも掲載されています。
▶6/5掲載 ③「こうじ離れ」で赤字経営の中、3男2女の子育て…家計の足しに公文式教室「自分の子どもを教えて一石二鳥」

傾く家業再建を決意

 東京の短大で経営や会計のことを学び、20歳で大分県佐伯市の実家「糀屋本店」に帰郷した。「頑張れよ」「おっちょこちょいだから失敗するなよ」。からかいつつも応援してくれる客の姿に古里の温かさを感じていた。

 1978年、ボランティア活動で知り合った真願さん(70)と25歳で結婚し、翌年に長女を出産した。結婚から6年で3男2女に恵まれた。

 子育てに奮闘した80年代は、家庭から「こうじ離れ」が進んだ頃でもあった。こうじを原料とするみそが「家で作るもの」から「買うもの」に変わり、全国のこうじ店は苦境に立たされた。実家も例外ではなく、なじみの客から「みそを仕込むのは今年で最後」といった声を頻繁に聞くようになった。

 店は赤字経営が続き、育ち盛りの5人の子どもを抱える生活は苦しかった。カレーライスは肉の代わりに焼いたこんにゃくを入れて食べさせたこともあった。急場をしのぐために行っていた弁当箱などの販売も縮小。こうじ作りに必要な人手のみを店に残すことになり、夫婦も店を離れ、真願さんは東京の人材教育会社に単身赴任した。

 家計の足しにしようと、89年に始めたのが公文式教室。長女と次女を通わせていたが、5人全員だと月謝がかさんでしまう。ちょうど後継を探していた教室があり、生徒ともども引き継いだ。「自分の子どもを教えて、他の生徒から月謝が入る。一石二鳥だった」と笑う。

 長女の久連松啓信さん(46)は、「母の工夫のおかげで、貧乏だという感覚はなかった。勉強面でも周りの友人に劣等感を抱くことはなかった」と感謝する。

 2000年代に入ると、子育てが一段落した一方、父が体調を崩しがちになり、「廃業」の2文字が頭に浮かぶこともあった。その頃、大学を休学して店を手伝うようになっていた次男の良得さん(41)から「家業を継ぎたい」と切り出された。休学前に訪れた米国で合気道など日本の文化が大切にされているのを目の当たりにし、実家の仕事の価値に気付いたのだという。

 ありがたく思う一方で、「赤字の店を継がせるわけにはいかない」との気持ちが湧いた。07年1月、母が亡くなった。これを機に20年ほど続けた教室を閉じ、実家に戻ると決めた。54歳だった。

(次回は10日に掲載予定です)