読売新聞「道あり」に糀屋本店 浅利妙峰が紹介されました⑧

6/3(火)から『読売新聞』の連載「道あり」8回シリーズに、浅利妙峰が取り上げられています。こちらは6/18掲載の8回目の記事です。こうじ屋ウーマンの思い✨🌎最終回。ぜひご覧ください。

🔗読売新聞オンラインにも掲載されています。

▶6/18掲載 ⑧「こうじの力で世界を平和に」との思い、バトンを託すのは3人の息子…「結束して家業を守ってほしい」

こうじ文化 息子に託す

 万能調味料「塩こうじ」を考案してから20年近くが過ぎた。「こうじの力で世界を平和にしたい」との思いは、今も変わらない。ただ、古希を過ぎ、「次の世代に夢を託すことも考えないといけない」と思うようになった。バトンを託すのは、3人の息子たちだ。

 こうじの仕事をしたいと言い出し、実家の「糀屋本店」(大分県佐伯市)を継ぐきっかけを作った次男の良得さん(41)は、浅利さんの父・8代目の幸一さんから伝統的な製法「室蓋づくり」を学んだ。「いいこうじを作り続けたい。それが、日本の文化を守ることになる」。店ではこうじ作りを任され、その仕事に誇りを持つ。

 一度は東京で就職し、2010年に佐伯市にUターンした三男の善然さん(40)は市内でコンサルタント会社を経営し、外から実家の事業を支える。店で働く長男の定栄さん(42)は、看護師と保健師の資格を持ち、講演などでこうじの健康効果を広める。現在は中小企業大学校(東京)で経営者としてのノウハウも学んでいる。

 三者三様、家業を考えてくれる子どもたち。その姿に戦国武将・毛利元就の「三本の矢」の教えを重ね、「結束して家業を守ってほしい」と目を細める。

 思えば、こうじを暮らしの中に残し、家庭料理の文化を守ろうと走り続けてきた。普及のためにと、世界13か国・地域も訪れた。インターネットで「Shio koji」と検索すれば、今では海外の人たちが動画で塩こうじを紹介している。

 「いつの日か、こうじにノーベル平和賞を取らせたい」。自分にできなくとも、後に続く誰かがきっとかなえてくれる。そう信じ、こうじ屋ウーマンは歩みを進める。

(山口覚智が担当しました)