12月20日(水)の大分合同新聞夕刊「灯」にて
こうじ屋ウーマン 浅利妙峰のコラムが掲載されました。
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「心を育てる教育」
修身を学び実践している世代から生まれ育てられた私たちだが、修身教育の功罪を問答することはほとんどなかった。
「うそをついていました。ごめんなさい」。政財界の立派な大人が平身低頭して謝る姿をニュースで何度も見せられると情けない。うそをついても謝ればよいと、大人が子どもたちに教えているようで本当に申し訳ないし、心が痛くなる。
君が代も教育勅語も修身も、内容を学ばないまま悪い、悪いと教えられて育った私たちの世代。民主主義を謳歌する時代に生きながら、自分の意思で選択する自由は与えられていないように思える。本当にこれでよいのだろうか。
昔の日本人は正義のために命を懸け、潔く死んでいった。命を粗末に扱えというのではない。信念を貫いて生きることの素晴らしさを教える教育がなされているだろうか。今や知識はITや人工知能に置き換わろうとしている。機械ではできないことを求められる時代がすぐに来る。機械になくて人間にあるもの、それは心。心を鍛える教育が必要だ。
正々堂々、うそをつかず、人に迷惑を掛けず、皆のために行動すること。そして自分に与えられた命を輝かして生きる喜びを、幼い時から教えられるような環境をつくってあげたい。子どもたちが笑顔で築く明るい社会のために、できる限りの努力をしていきたい。
(こうじ屋ウーマン・佐伯市)