2023年6月23日(金)大分合同新聞「灯」にて『父のギョーザ 母のオムレツ』と題した こうじ屋ウーマン 浅利妙峰のコラムが掲載されました。
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子どもの頃、6月の私の誕生日が近くなると、父が「何がいいか」と聞いてくる。私はすかさず「ギョーザ!!」と答える。父は戦地に赴いたのが旧満州(現中国東北部)近くだったらしく、そこで食べ覚えた野菜たっぷりの本格ギョーザを作ってくれた。もちろん皮も手作り。
父のギョーザ作りは、1日仕事。この私の誕生日は、朝からネギ、ニラ、ショウガ、ニンニク、白菜に豚肉、味付けはみそを加えた物を準備して、それから皮作り。練って、練って、練り上げ、延ばして丸く切り、切った端から具を詰め、ムロぶたに並べて、どんどん積み上げる。他に食べる物はなく、ひたすらギョーザ、ギョーザ、ギョーザ。
食べ始めは、何個食べたか数えるが、いつの間にか食べることに夢中になり、数は頭から飛んでしまう。10や20ではない、50個くらいはいつも食べていた。薄く延ばした皮も、水ギョーザにしてゆで上がると、結構な厚さになり太くて厚いモゴモゴした物を酢じょうゆでいただく。
毎年、毎年食べていたあのギョーザ。結婚して、子どもたちと作るようになってからは、いつの間にか、白菜ではなく、キャベツの外側や芯の硬いところを使うSDGs料理に変わり、市販の皮で包むようになったが、わが家の伝統料理として引き継いでいる。
あ、母のひき肉オムレツの出番がなかった。またどこかでご披露をさせてもらいます。
(こうじ屋ウーマン・佐伯市)