大分合同新聞 灯にて掲載 2月6日(水)

2月6日(水)の大分合同新聞夕刊「灯」にて
こうじ屋ウーマン 浅利妙峰のコラムが掲載されました。
~「都城市三重町」と題して~

―――――――――― ――――――――――

豊後大友と薩摩島津による戸次川の壮絶な戦い(天正14年12月)の翌1587年3月、豊臣秀吉の九州平定の出陣を聞き、退去を始めた島津軍の中に三重郷住民700人余り(といわれている)の姿があった。島津は彼らを居城である鶴丸城(都城)へ捕虜として連れ帰り、本之原に三重町(今の西町)、本町、後町の三町を立てて召し置いた。

彼らは三重郷領主層である麻生紹和にゆかりを持つ政治、経済、農業に力のある階層の人々であったため、鹿児島の武家に取り立てられた者、鶴丸城下の町役人に任じられた者、領主御用酒屋となった者もある。大部分は鶴丸城武士の諸用を調える市場で商業活動に従事した。

三重郷から都城へ向かう際、1体の如意輪観世音像を背負い運んだ。故郷を遠く離れた彼らの心の支えとなり、事あるごとに観音様の前に集まり、慰め、励まし、故郷のことを語り合ったに違いない。

それから430年以上の時が流れた。三重郷住民の活躍は都城市民の活躍として知られるところであるが、彼らの活躍を見守り続けている如意輪観世音像は、今も都城市三重町(西町)の野口家に祭られている。

蛇足ながら私の主人は都城出身。ご先祖さまは都城市三重町に端を発している。大分から都城へ。二つの三重町をつなぎ、不思議なご縁で結ばれ、今を生きる夫婦になれたことに感謝と誇りを感じる。
(こうじ屋ウーマン・佐伯市)