2025年10月16日(木)大分合同新聞「灯」に『私的史観ー独歩佐伯赴任の背景』と題した こうじ屋ウーマン 浅利妙峰のコラムが掲載されました。
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国木田独歩は、徳富蘇峰の「国民新聞」に勤務していた関係で、彼の推薦により佐伯の「鶴谷学館」に赴任した。当時、地方の中学は英語教師の不足に悩んでおり、佐伯から蘇峰に「適任者を」との要請が来て、蘇峰は独歩の文章力や感受性を認め、実地で鍛える機会を与えたのだろう。
ここで私が注目したいのは矢野龍渓の存在である。(前回登場した矢野さんは、俳優の矢野陽子さん。正しくは龍渓の一番下の弟、道雄さんの孫でした)。龍渓は佐伯藩出身であり、「経国美談」を通じて若き蘇峰に大きな影響を与えた。蘇峰は「経国美談」を「全国の中学生が読むべき書」と絶賛した。2人の年の差は12歳ながらも、信頼と尊敬を基盤とした関係であったに違いない。
想像をたくましくするならば、龍渓が蘇峰に「佐伯に必要な教師を」と相談した。龍渓は故郷の教育熱心さを熟知し、また佐伯の人々の温かさと自然の豊かさが、独歩の文学的感受性をさらに高めるだろうと直感したのだろう。佐伯にとっては人材確保、独歩にとっては成長の場、龍渓にとっては故郷への貢献―まさに「三方よし」の発想である。蘇峰はその意をくみ取ったのではないか。
独歩は、佐伯の地で自然と人情に触れる数々の体験を積み、後の「春の鳥」「源おじ」「武蔵野」など自然主義文学の源泉となった。その背景には、龍渓と蘇峰の連携があったと考えたい。
独歩佐伯赴任の物語の裏に、龍渓の深い故郷愛が感じられて、胸が熱くなる。
(こうじ屋ウーマン・佐伯市)

