4月17日(水)の大分合同新聞夕刊「灯」にて
「パラグアイから届いた手紙」と題した
こうじ屋ウーマン 浅利妙峰のコラムが掲載されました。
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差出人の名前だけで住所のない手紙が届いた。中を開いてみると「突然のお手紙すみません」で始まっている。「引き出しから糀(こうじ)を作り続けて300年糀屋本店のパンフレットと、浅利さんの新聞の切り抜きやレシピなどを見つけました。私たちの住むラパスの町で塩糀の講師をしていただいてから何年になるのでしょうか。今やパラグアイでも塩糀が多くの人に使われています」と続く。
長男の定栄が青年海外協力隊の隊員としてパラグアイに赴いたのは2011年。塩糀ブームが国内でも広がり始めた12年の8月にパラグアイを訪問してから、はや6年以上が過ぎた。
首都アスンシオンや三つの日系人居住地で塩糀や糀についてお話をした。お手紙の方の住むラパスでは、現地で手作りの糀を準備してくださり、参加者の皆さんと塩糀を作った。「おいしくなあれ」「愛しているよ」「我愛你(ウォー/アイ/ニー)」などと声掛けをすると、よりおいしくなると伝えた。
いろいろなお店はないけれど、おはぎやかりんとう作りの名人、漬物上手な人がみんなの分まで持ち寄って、お茶を飲みながら、あれこれ話をするのが楽しみだと言う。私もその中に加わり、楽しい時間を過ごした。礼儀作法やきれいな日本語、おもてなしや助け合いの心、古き良き時代の日本が根付いていることにうらやましさとうれしさが心に湧いた。
(こうじ屋ウーマン・佐伯市)